青い皿

45歳の告白

仕事について 

今日は、自分の仕事人生について、考察していこうと思う。とにかく掘り下げることが好きだから。

地方の国立大学を卒業して・・・その後20年の足跡

先ずは時系列に見ていこう。

 

【はじめの5年間】 

初めて就職した会社で約4.5年働く、その間給料は初任給とそう変わらず、男性社員の方が給料も1万程高かったかな、昇給も全然違う。役職もつかず。 

毎日毎日同じことの繰り返しだったわ。

職場も同じ。

挙句、女性社員は全員腰掛とまである上司に言われる始末。 

何を間違ったのかな?なんでこんなとこ来ちゃったのかな? 

給料に縛られて、まったく身動き取れない思考停止な自分がいた。

小中高大とひいてきた線路がそこであって、脱線したくなかった。

そのうち、なれるだろう順応するだろうと、定着も考えた時期があったが、居心地が悪いところでい続けることが、精神的に人間形成的に自分に悪影響しかなかった。

パートのおばさん(地方あるある)が、権力を握っていて悪質な嫌がらせもあったなぁ。あのおばさん今も生きてるのかしら? 私が見たものは、人間の汚い部分。職場いじめが普通に起こり、誰もそれを止めない、むしろ面白がっているそんな腐りきった職場だった。

現実と自分の考えをすり合わせ、必死で仕事に行く日々、次第に思考停止に陥り、どんどん自分が壊れていった。行動しないので、なんに変化もなく、ただ耐える日々。

社会にでて3年もすると、友人や知り合いたちは結婚したり、新しい旅立ちをする子が現れてきて、焦りだす自分。

仕事より、人間関係にすり減っていく自分だった。仕事は誰でもできる単純の繰り返し。今まで学んできたこと、何一つ仕事に面白さを見いだせなかった。

ただ非常に責任感だけが強くて、辞めの切りのいいところを見つけられずにいた。口癖のように家族には「やめる」というのに、いつになってもやめない。

何のために耐えたのか?何のための努力だったのか?そこで目指すことはあったのか?

人間、意味のない耐えや努力、目標のない日々ほど、人間を無気力にしていく。そして行動しないこと、アクションしないことで、その負の立場の連鎖を招いていく。

 

「社長の寵愛」という変な単語が飛び交い、新しい物好きだからと気に入られるといいねと言われたこともあったな。組織というより社長と小作人たちみたいな会社だった。中小企業のワンマン社長あるある。

本社から離れた地方なんて無法地帯で、良識のある人間なんて一人もいなかった。

そこで得た価値観、女は男より仕事しても意味がない。役職も就けない。女は適当に仕事していればよい。

大学で学んできたこと、いったい何だったのだろうか?自分の夢はどこへ?

私にとっては、泥沼に捕まって足が動かないそんな20代前半だった。

 

【現実から飛び出す】

社会に出て5年目、とうとうもう今しかないと、飛び出した。アメリカへ。ワーキングホリディでいろいろ調べてはいたが、アメリカだった。なぜオーストラリアや他の国を選ばなかったんだろうか? 今となっては思い出せない。

ここで、私は人生での出会いと呼べる人たちと出会った。海外の友人、仕事をしている友人。ようやく戻ってきたんだと、自分がいたい場所へ。

ただ、その年の暮れ日本に帰ってきて、上京する。上京が転機だった。あのまま田舎にいれば、田舎の価値観とまたすり合わせ減っていく自分が簡単に想像できる。

遊んで、遊んで、仕事もした。

 ただ、同い年の友人は、結婚したり、転職したり、新しい人生を切り開いているのに、私は、まだ自分の仕事すらしていない、そんなアウトローな卑屈な気持ちも抱えていた。ただ、日々が過ぎていく。

仕事の基礎ができていない自分であることに気づき。20代前半の仕事を覚える時期に、とんでもない会社で自分を置いていたこと。後悔が付きまとう。その人の仕事観はやはり20代前半にどんな会社で働いていたかどんな人と仕事をしたかが非常に大きく影響してくる。

だから、もし今あの時の自分に話すことができたら、こういってやりたい。自分がすり減っていたら、早めに動け、場所を変えろ。一緒にいる人間は、自分の人間性をも侵食してくる、いい人間がいないと思ったら、そこから出たほうがよいんだよってね。

そんなクソみたいな会社でいたからこそ、どこへ行っても天国だった。

ただ、仕事面ではすごく置いて行かれてしまった自分と現実の社会が、自分の価値が分からなくなり、安売りし、どんどん深みにはまっていく自分がいた。

【27歳定職につく】

派遣の心もとない不安定さに、それと同時に自分の頼りなさみたいなものを感じ、中小企業に正社員として働くことにした。仕事後には友人と飲みに歩いて、つまらん恋愛もした。自分の価値がどんどん下がっていった。安定をもとてめて、自分の中の何かがもうどこにも見つからなくなって、不安 不安定 そんな上に生きているんだと感じる日々。もちろん仕事は、与えられたものをやる。それだけだった。

 夢もその先の未来も何も見ていなかった。

原因は、最初の仕事場での、仕事へのジレンマ、人間関係ですり減った自分、選択の後悔、そんなものが私を過去のもの・ヒトが引き戻そうとするそんな毎日だった。

楽しんでいる自分を見つけて、夜な夜な遊んでいたのも、あの頃の反動が大きかったといまでは思う。相当なストレスが悪いストレスが、私の中で蓄積し私を侵食していたことに今気づく。

これを書く前に、すっかり最近の出来事にフォーカスしていたが、あの頃の惨事に比べれば、いまはどれも天国なのである。あの頃の自分を忘れちゃいけない。

そして、あの頃の自分には二度と戻らない。自分に正直に。自分の置く場所を知る事。

自分は最後まで捨てないこと。

一つ自分に褒めたいことは、あんな負の影響しか受けなかった場所で、自分はやり返さなかったこと。その点、自分は相当擦り切れた、でもそれだけはやらなかった。

自分の中で、善悪の判断がしっかりあったからだ。でも、時には自分を守るために闘わなくてはいけないものがある。と後々自分は強く思う。自分のプライドだったり。なんでもいい。自尊心を守るためでもよい。

【今度は結婚】

とにかく安定を求めて、次は結婚だった。三十路を過ぎてようやく動き出した。

そして晴れて結婚。仕事と家庭、そして育児に追われて、多忙を極めた。

進みだした道はどんどん深くなり、一緒に伴走する人も増えた、抱える荷物も増えた。

気が付いたら、身軽ではなく、しっかり地に足付け生きていく自分がいた。

夢や希望、自分の限界を感じずにできる時代はとうに過ぎた。過ぎていた。

つまらない金のために、20代前半を無駄に過ごしていたという後悔だけが、自分に残る。飛ぶときに飛ばず、飛べない時に飛ぼうとする・・・そんな半生だ。

 

もう一度荷物を小さくして、旅に出よう。そんな気分か。

 

【そして今】