青い皿

45歳の告白

見た目と幸福度について

初めての習い事、初めての人、初めての場所に行くと。第一に見た目でその人の属性や生活を判断してしまわないか、その先入観から会話が始まることがないだろうか。

ボロボロの服を着て、手入れのされていない靴を見て、相手がもし大金持ちだったとしても、そうとは思わないだろう。

何らかの精神的疾患を抱えているんじゃないか?とか、お金がなく失業中なのか?と思ってしまうだろう。何か問題があると思ってしまわないか。

 

見た目には、その人の生活の質が表れてしまう。

お金があれば生活の質は上がるだろうか? ワーママをやっていたころは、お金はあっても生活の満足度は低かった、それは生活の質が悪かったからだと今は思う。お金があっても人は絶対幸せになれない。

身の回りの生活を誰かが見てくれ、健康にアドバイスをしてもらう、つまりお金持ちのレベルが相当高い人は、「誰か」にその役割を手渡していることになる。つまりお金で雇っている。相当のお金持ちだ。もしくは、夫婦や家族の役割で充当しているか。

 

理想的な生活とは何ぞや? 幸福ってなんぞや? 

 私が思い出すのは、NYの図書館にいたユダヤ人(帽子から判断)。PCをしていた私の隣に座り、同じくPCで何やらしている。株のチャートをみていた。お金の事。

 

多分、すごい額だったと思う。しかしながら、そのユダヤ人からは、幸せなオーラは感じられなかった。どちらか言うと、底辺をうろうろしていそうなそんな人だった。

 

見た目は、幸せとつながっている。見た目とは、何かが磨かれていること。肌でもいい、服でもいい、手入れが行き届いているってことだろう。と私は考える。

 

お金持ちなのに、見た目が悪い(服の手入れがされていないとか、ボロボロの服を着ているとか)のはどうしてなんだろう?? 物を大事にしない性分だったり、するからだろうか。

 

つまりお金がなくても人は幸せになれる? 人は生きるために、ライスワークを強いられる、それがその人の時間を奪い、気力を失い・・・そういう循環に陥り、時間だけが過ぎ、老後がやってくる。

 

ある程度お金は必要である、生きていくために、ご飯を食べるために。そのライスワークと、生活の質のバランスをうまくとること、それをコントロールしていくことが生きていく知恵なんじゃないかな。 感覚的にわかる人もいるだろう。わからなくてジレンマに陥る人もいるだろう。

 

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今私はどこにいる?左下の緑だな。。。生活の質?満足していない。仕事は今は主婦だから、家事とか育児とかになるんだろうが、ここも満足していないの。

 

どこまで追求すればいいんだろうか。そんなことを悩む主婦。

 

 私にとって生活の質が高い一日とは;

 

目覚めがいい、子供より先に起きて、バランスのよい食事部屋もきれいできもちい、子供を笑顔で見送り、自分の仕事に取り掛かり、昼しっかり食べて、また仕事、3時に休憩して、身体によい夕食をとって、家族と談笑しながら夕方、家事もさっくりおわらせ、今日も一日頑張ったって思ってスッキリ寝床につく

 

私にとって生活の質が悪い一日とは;

目覚めが非常に悪い、子供より先に起きられない、朝ごはんテキト、ネットサーフィンして気が付けば昼、洗濯家事残っている、昼をだらっと食べ、間食は砂糖たっぷりのおかし、気が付けば夕方、夕ご飯作って、夫と喧嘩、ゆっくりも過ごせず。夜。夜食を食べながらダラダラ、深夜になって就寝。

 

  • 砂糖をぬいた日は翌日目覚めがいい
  • 運動した日は、夜すっきり寝れる
  • 毎日少しずつちょこっと掃除&片付けをする

 

部屋がきれいな事、片付いていること、身体が整っていること。これが揃えば、生活の質はかなり高いレベルになる。仕事が忙しくても。この部分にかける時間を確保すること。お金がなくても生活の質(=幸福度)は高められるんじゃないか。

お金がなくても幸せになる。幸せとは生活の質と考えていこう。