青い皿

45歳の告白

はじめ

砂場で子供が山を作り始めた。私の背中に汗がにじむ。

今日も暑くなるというのに、空っぽのあたまだ。子供の手を眺めながら、過去の一瞬が蘇る。

 

20代前半の私は、あの窓から見えた空を見上げてはるか上空をとんでいるジェット飛行機を見ていた。時間を無駄に過ごしたといってもいいのかもしれない。自分の居場所も見つけられず、劣悪な環境に数年も居続けた。無目的に、そして侵食していった私には何も残らなかった。あの頃の人間関係、つまらない単純作業、毎日のルーチン、、20代前半の人生経験は、ひどいものだった。

 

砂山はどんどん大きくなった。

 

いい出会いも、いい価値観にも出会えず、耐えた数年。

何回か、立ち直っては再び頑張った。

今思えば、その頑張りは、明日も仕事ができるという保障、毎日奮い立たせていた頑張りだ。 何故仕事をしないといけないか?自分のなかでは、自分にとっての理由もなかった。お金に困っていたわけでもない、ただレールから脱線することが怖かった。今ならそうわかる。人間関係や仕事に負けるのが嫌だったからかもしれない。

 

20代は、その後に続く長い社会人人生の土台となる、だからこそ納得のいく場所に自分を置いて、自分の目標を追い求めていくということをしなくちゃいけない年時期なのに。私は耐え続けた。耐えただけの私の人生にはこのころのことは何も残っていない。

 

生きる知恵が足りなかった。このころはまさにそれだった。

そのままいれば、腐っていくことも分かっていたが、出られなかった。動けなかった。

 

【人生の知恵】

3人の船乗りという話がある、船が故障し近くの無人島に漂着する。

その島にはたくさんの果物が育っていた。

船の修理が終わるまでこの無人島にいることになった。

3人のうち

 青さんは、いつ船が出るかわからないので、無人島に降りることなく、船の中で待つことにした。船の修理が終わり無事出発したが、おなかがすいていて、そのうち栄養失調になって、死んでしまった。

 黄さんは、船が見える範囲で無人島の中の果物を探しに行った。空腹は感じなくて済んだが、おなか一杯にはなれなかった。船が出発するころには船に戻れ出発に間に合った。

 赤さんは、船はまだ修理に時間がかかると、無人島の奥のほうまで行きたくさんの果物を食べた。おなかいっぱいだ。でも、戻っていたときには船はもう出発していて、無人島に残されてしまった。

 

自分が今どの状況なのか、判断するときにこの話はとても役に立つ。自分にとって船は何なのか? 果物は何なのか? 20代前半の私がやってきたことは、船が、対価を得る仕事であり、果実が希望や未来、将来 だったように思う。そして私がとった行動は、その船の中で一歩も外に出ず、びくびくしながら耐え耐え続け、そしていつしか船の中で腐っていったんだと思う。

 

そして、40代になった私は今、船はなくなった。船から解放させてあげよう。

そして、また船を見つけた時は、自分にとって果実は何なのか、常に考え見つけていかなくてはいけない。