青い皿

45歳の告白

1999年春

今から何年前かな。23年前? 日本の景気は、坂道を下りだし。バブルがはじけた後の広大な荒れ野原に、新社会人として、デビューしたんだったかな。

モナトリウムの4年間をすごし、何かを得たわけでもなく、武器も道具もお金もなく

社会に放り出された春でした。

同じ大学を出た友人からも「寿退社」という言葉が普通に出てくる時代だった。「こしかけ」とも言われた事あったあの時代。セクハラなんて言葉もなく、それが普通だと思っていた。給料が女性の方が低いに、抵抗は感じていたが受け入れていた。

学校で習ってきた男女平等とかいったものは、理想だったんだと気づいたんだよ。

そして、その違和感と共にそこで生き続けた自分。

今だから言えることだが、そこは自分の場所ではなかった。

飛び出す勇気と、未来への覚悟が足りなかった。と今だからわかる。

現実は、もっと複雑でグレーで、天国があればすごい地獄もあった、人はもっと多様で、場所によっては人種が偏り、絵にかいたような地獄もある。

社会人とは、この現実に向き合って、自分と向き合って、未来をしっかり見る目を失わず、自分のストーリーを作っていく、第一歩なのである。

当時、ニュースで希望の就職先に内定をもらえなかったからと、ビルから自殺する人がいたニュースをいまだに覚えている。何に絶望したのか、内定がもらえなかった会社がその人の人生すべてだったのか、だとしたら、そもそもそんな人生、誰の人生なのか? 

自分に自信がなかったのであろう。

私も、結局社会にまかれ、人にまかれ、感情に流され、社会人数年を過ごしてしまった。大きな損失であったと思う。しかしながら、マイナスにはからなず+があるもので、もし、あのままいい会社、素晴らしい同僚、素晴らしい人生を送っていたら、大切な何かを失っていたかなとおも思う。 

大切なのは、これからである。