青い皿

45歳の告白

40代のたなおろし 20代の私へ

あの頃、なにを思って生活してた? 毎日が苦痛だったね。

苦痛にさらに、周りからの重圧。

毎日がどこに向かっているかもわからず、もがいていたよね。

とにかく耐えたね。頑張ろうとしたね。身体も心も少しづつ壊れていったよね、気づかないうちに。 涙だっていっぱい出た。 

でも何のために、私は頑張っていたのだろう?耐えていたのだろう? 

思い出すのはその当時の口癖だった、「自分の後の子のためになるために」だったような気がする。やめるタイミングも「後の後輩」のことを考えて決めていた。

自分のためでは、頑張れなかったんだよ、今気づいたけど。ただ、仕事を続けるには、もう自分の中に理由がなかった。やめる勇気もなかった。 

何か理由を見つける必要があった。それだけだと思う。

若いってだけで、それが宝。なのに、無駄に時間を過ごしてしまった。

定期的に入る「お金」に、自分を売っていた。

やっていることは仕事(社会)だけど、お金のためだけに、頑張り続け自分を殺していたことは、自分をないがしろにし、売春とそう変わらない。今気づく。

もっと価値のあるもの、自分のやりたいことにつながる行動、経験から得られるもの、をういったものを選べばよかったのだ。。そして、行き詰った時こそ、広い目をもって周りを見渡すこと。 いろんな価値観に触れて、自分を解放させること。

ただ、本当に頑張ったよ。あんな地獄、毎日毎日ほんとうにお疲れさまでした。

私を救ってくれる人は、当時いなかったね。誰一人として、仕事を辞めることについて賛成してくれる人はいなかった。友人ですら。今思うのは、人は周りが変わっていくことを基本怖がるということそ知っていれば、もっと自分を信じていれば。

とも思う。 だが、あのタイミングで仕事を辞めて、海外へあの頃行っていなかったら、出会えなかった人いることになる。もしかしたら、私は、今ここにいなかもしれない。いろんな悪いことが起こった時、次の行動をとったから、今の私がいる。だから、悪いだけではない、それがなかったら、今私はここにいない。

起こったことは、すべて正である。問題は、これから自分がどこへ行こうとしているか。常に忘れちゃいけないこと。 20代のあの頃の私には、それがなかった。

どこへ向かうことか、今日の行動が何につながっているか、確認もしなかった。考えもしなかった。 人間は考える葦である。 考えを辞めてはいけない。決して。