青い皿

45歳の告白

義理の親族 血のつながりなし

血ってなんだろうな。 血がつながっている、親戚である。これはつながりを表す言葉でパワーがある。なんとなく親しみを抱く。しかたがない。

だけど、血のつながりもなく、ただ子供のおじいちゃんおばあちゃんである人のことを、「おとうさん」「おかあさん」と呼ぶことの変さ。

日本独特の風習がなくなりつつあり、家制度もなくなった(と言っていいと思う)

「嫁」という言葉もなくなった。

そんな今、義理の両親への何とも言えない違和感から脱することは難しい。

 

義母の扱いには本当に疲れた。なんとなく異常だったことは、後々わかるのだが。。

離れた今、ほんとうにホッとしている。

実の両親がなくなった際、義母のおかしな行動・・・これが私への最終通告であることは間違いなかった。時がたった今、確かにユダヤのことわざがよみがえる。

 

恨みや辛さはわすれよう ただそのこと自体は忘れるな

なぜならまた同じことが起こるかもしれないからだ。

 

だったように思う。

同じ危険な人物と付き合っていると、やっぱり何かが起こってしまう。

その時に、自分を守れるかは、過去の出来事を忘れないこと。

間をとること、 意を決めること しかないのである。

 

流されて流されて嫌な思いをすることは、もう二度とないように。

 

義理の実家に行くのは、もう葬式ぐらいだと思っている。

年老いた人間を憐れんでも、自分の気持ちで発生した仕方がないこと。

 

やはり、他人の住む世界なのである。