義理の親族 血のつながりなし
血ってなんだろうな。 血がつながっている、親戚である。これはつながりを表す言葉でパワーがある。なんとなく親しみを抱く。しかたがない。
だけど、血のつながりもなく、ただ子供のおじいちゃんおばあちゃんである人のことを、「おとうさん」「おかあさん」と呼ぶことの変さ。
日本独特の風習がなくなりつつあり、家制度もなくなった(と言っていいと思う)
「嫁」という言葉もなくなった。
そんな今、義理の両親への何とも言えない違和感から脱することは難しい。
義母の扱いには本当に疲れた。なんとなく異常だったことは、後々わかるのだが。。
離れた今、ほんとうにホッとしている。
実の両親がなくなった際、義母のおかしな行動・・・これが私への最終通告であることは間違いなかった。時がたった今、確かにユダヤのことわざがよみがえる。
恨みや辛さはわすれよう ただそのこと自体は忘れるな
なぜならまた同じことが起こるかもしれないからだ。
だったように思う。
同じ危険な人物と付き合っていると、やっぱり何かが起こってしまう。
その時に、自分を守れるかは、過去の出来事を忘れないこと。
間をとること、 意を決めること しかないのである。
流されて流されて嫌な思いをすることは、もう二度とないように。
義理の実家に行くのは、もう葬式ぐらいだと思っている。
年老いた人間を憐れんでも、自分の気持ちで発生した仕方がないこと。
やはり、他人の住む世界なのである。